La Castellada (ラ・カステッラーダ)~ニコの家での夕食
ヨスコ・グラヴネル(グラヴナー)、ラディコン、ダリオ・プリンチッチ、パラスコス、フランコ・テルピン、ダミヤン、ムレチニック、クリネッチ、モヴィアなど、Collio(スロヴェニアではBrda)周辺には、マセレーションした白ワインを得意とする造り手が多い。
彼らの栽培・醸造に関わる独自の哲学に耳を傾け、畑やセラーを丹念に観察していくと、微妙な「こだわり」の違いに気づく。
先の記事の「集合写真」の面々の指向性の違いは、大変興味深い。
例えば、今やイタリアの自然派ワインの代表格となったヨスコ・グラヴネル(グラヴナー)は、ビオデナミを実践しつつも、イノックス→バリック→ボッティ→アンフォラとワインの熟成工程を、ダイナミックにバッサリと変えてきた。
(個人的には、毎度「本来これをやりたかった」と言いながらも、マーケットと上手く対話しながら、ブランド造りをしてきたように思える)
ラディコンは、葡萄の凝縮感を向上させるため、急勾配の畑の地下に配管を通し、畑に溜まる雨水を下へ下へと排水させる、ユニークな(狂気的な?)工夫をしている。
カンテは、ゴリツィアからトリエステに移り住み、d.o.c.カルソの固い岩盤を掘って畑を起こし、さらに地下13メートルにセラーを構え、エレガントでミネラル分が豊かなワインを造っている。
さて、ベンサ兄弟のLa Castellada(ラ・カステッラーダ)は、前述の3人と比べ極めて保守的である。 これまでやり方のいいところを残しながら、品質改善や状況の変化に対応するために、少しずつ実験をし、検証するようなやり方をしてきた。
自然は一度手を加えてしまえば、元に戻すのは容易なことではない。自然を相手に戦う畑仕事やセラー・ワークにおいても、そのことは同様である。
「考えに考え抜いてから行動する、現実主義者(リアリスト)」というのが、僕のニコに対する印象である。
ニコの家で晩御飯を食べ、様々な話をしていく中で、ふと、結論づいた口調で、
「とどのつまり、ワインとは、結局 <人> なのだ。 モダンスタイルだろうが自然派だろうが、毎日の仕事が <結果> となる」、という一言が、今も頭から離れない。
醸造家は、その年その年、全く異なる自然の中で葡萄を育て、自らが理想とするワインを造り、マーケットにリリースする。 その過程の中で、「いつまでに」「どのような状態をめざし」「どんなプロセスで」「どの優先順位で」「どのような手法やツールを用いて」実践すべきか、更にそれを「どの位のコストや時間をかけて行うか」が、いわば「醸造家としてのセンス」なのだが、ニコ・ベンサの頭の中では、常に論理的に整理されていて、瞬時に選択できる無数の「引出し」を持っているかのように、僕の目には映る。
彼が『とどのつまり、ワインとは、結局 <人> なのだ』と定義する真意は、「中長期的な計画」に始まり、「質の高いルーチンワーク」「醸造ステップ毎の的確な品質管理」「危機に対する的確な施作の投入」など、今置かれている状態をより良いモノにできるか否かは、全て「ワイン造りに携わる人間側の問題」である、と言いたいのだと思う。
手作りのロースト・ビーフを自らカットし振る舞ってくれるニコ。
奥さんのヴァレンティーナさんの手料理に舌鼓。 奥さんは「鶏の唐揚げ」のようなものを振る舞ってくれた。ビアンコとの相性が特に良かった。
ヴァレンティーナさんは、既にニコの「ワイン論」にうんざり顔。
この日、深夜まで尽きることのないニコとのワイン談義の中で、僕は、以前からワイン・マスコミに対して抱いていた「モヤモヤしていたもの」の正体が一体何なのか、おぼろげながら見えてきたように思える。
さて、以下は僕の「独り言」なので、興味のない方は読み飛ばしてください。
日本のワイン・マスコミに思うこと
ワイン・マスコミに対して抱いていた「モヤモヤしていたもの」の正体。
仮に、ニコの言うように『とどのつまり、ワインとは、結局 <人> なのだ』とすれば、造った人の臭いが感じ取れない(造り手の思想や人格が伝わらない)記事や、あえて誤解を招くように意図的に書かれた記事は、何のために書かれているのか? ということ。
実は、僕は、某美大を卒業後、一人南米に渡り、現地のインディオ達と共に演奏活動をして暮らしていた経験がある。そのせいか、「政府・政権」とか「権威主義」とか「無邪気に消費を煽るマスコミ」とかに過敏に反応してしまう体質となり、以来、一向にその思考から抜け出せないでいる。 テレビCMに映る芸能人の笑顔もとても気持ちが悪いし、DMやカタログショッピングにも殆ど興味が無い。
今のワイン専門誌は、その最たるものかもしれない。あたかもワインを好まれる方の多くが、権威主義やランク主義者であることを前提にしているかのような論調、言葉遣い、さらにお花畑のような空想や表現は、醜悪で鼻持ちならない。 まるでワインの本来の味を損なう「ブショネ」のような存在に映る。
まったく、ワインは権威やクラスを象徴する飲み物でないと、立場が保てない方々がこの業界多いようで、困ったものである。
たとえ造り手自身の発言として引用される場合であっても、大凡、それは「よそ行き用」の発言であり、セールストークの片棒を担いでいるに過ぎない。
いわゆる「ヤラセ文章」や「提灯記事」である。
僕は以前、鬱積する不満の原因が何なのかを探しに、某ワインサロンのジャーナリスト養成コースの門を2度も叩いたことがある。
第一線で活躍している講師を聞いた後、いざ自分で文章を書いてはみるが、出涸らしのような月並みな文章しか生まれない。自分で読んでも全く面白くない。
反省し、今度は全く異なる人格を演じることで、読み手に興味をもってもらおうと、媚びれば媚びるほど、今度は「成りたくない自分」が書いた歪な文章しか書けなくなった。
自分に幻滅し、いつしか、途中でサロンに通わなくなってしまった。
ただ、その講義の中で、当時現役のジャーナリストであり講師としていらしていた、西田恵さんとの出会いは、今の僕のスタイルを作る上でとても大きな影響を与えてくれた。(本当に彼女の情熱と文才は、驚嘆に値するので是非読んでほしい)
西田さんは、開口一番、講義の冒頭で「ワインのブログは沢山あるけど、所詮ブログでしかない」と宣言した。今思えば、ワイン・ジャーナリズムの誌面で書くべき文章は、無責任に書き散らかしているブログの文章と責任の重みが違うことを伝えたかったのだと思う。
しかし、当時の僕は「ロー・コストで即時性のあるネットの強みを見落としているだけでなく、雑誌が売れない時代に、一体何を言っているのだろう?」と思う一方、 「じゃ、ブログでワイン専門誌を超えたら、一人勝ちじゃん!」という、CH.ディケムやアヴィニョネージのオッキオ・ディ・ペルニーチェよりも、遥かに甘い算段を働かせてしまった。
僕自身、ドラムスキャナーの時代から写真の色分解をやっていたDTPのスキルがあり、前述の某ワインサロンで最上位のクラスでテイスティングを磨いた経験もあるので、それなりの文章さえ書けてしまえば、あとは楽勝と思っていたのだが、実際はこれが至難の業だった。どうあがいても、自己陶酔型のつまらない文章しか出来ない。
ちょうどその頃、某○○○○ハウス社のワイン研修会で、衝撃的なワインの数々に出逢い、Gorizia (d.o.c. Collio) という土地の名前を初めて知った。衝撃的なワインとは、グラヴナーのブレッグ1997であり、ラ・カステッラーダのロッソ1996だった。
イタリアにまで来るきっかけを与えてくれた生産者、ニコ・ベンサの『とどのつまり、ワインとは、結局 <人> なのだ』という、この言葉を聞いた時、自分は何を伝えるべきなのか、ほんの一瞬だけだが、光明が見えたような気がした。
以来、読んでくれる人に、少しでも造り手達の想いや人柄や、現地の「息吹」のようなものが「どスレート」に伝わるようにと、微力ながら鋭意努力させて頂いている。
このブログを読んでくれた方に、そうした空気感が、少しでも伝わっているとしたら、僕がワイン・ジャーナリズムの世界でやりたかったことに、少しだけ近づけているかな、と嬉しく思う。
さて、僕の長い独り言にお付き合いしてくださったお礼に、ニコがこっそり教えてくれたCOLLIOの地区の「秘密」をご紹介。
①ここCOLLIOの地区には、僅か6世帯の家族しか住んでいなかった時代まで家系を遡ることができる。
②実は、ヨスコ・グラヴネル(グラヴナー)とニコロ・ベンサは2世代前の家系で繋がっている。
③スタニスラオ・ラディコンとも、更にその前の家系で繋がっている。
④COLLIOには「プリンチッチ」という苗字の造り手は、「ダリオ・プリンチッチ」「ドロ・プリンチッチ」「ダミアン・プリンチッチ(コッレ・ドゥガではないらしい)」と3人いて、彼らはすべて親類に当たる。
ニコは時々真顔でとんでもない冗談を言うのだが、この時はかなり真剣に語っていたので、多分、本当の話だと思う。
ワイン生産地「COLLIO」の歴史は、政治や戦争といった地勢学的な影響をうけつつも、「中央ヨーロッパの大自然と共に暮らしてきた6家族、繁栄の物語」と言えるのかもしれない。
La Castellada | ラ・カステッラーダ
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