Radikon (ラディコン) 訪問 :1度目 2/2

ボトリング(瓶詰)の現場にも通してもらった。

まだラベルの貼られていないボトルの山に混じり、フリウリ・ワイン・ファンの間では、もはや常識(?)になっている、細口の500ml瓶のサンプルが置いてあった。

ラディコンのワインに使われるボトルは、従来の750ml 以外に、 1リットル瓶と、500ml 瓶があり、1リットル / 500ml 瓶は、細口のボトルになっている。

当然この瓶に収まるコルクも、―般的なコルクよりも2まわり位、細い。
原料のコルクは、高価ではあるが、最高品質のモノだけを選んで使っている。

一般的に小瓶は、容積が小さい分、大きな瓶に比べ、瓶内熟成(劣化も含む)が進む速度が速くなる。
ラディコンが開発した、500ml 瓶は、ハーフ・ボトル的な少量を飲む楽しみ方と、高騰するコルク代対策を兼ねているらしい。

この細い瓶口とコルクは、実にソムリエ泣かせである。
街中のトラットリアのアルバイト・ソムリエール達が、ボキボキと客の前でコルクを折る光景が容易に想像される。
(奴らは、平気の平左で、目の前でコルクを折っていく。 ただし、今時のイタリアの若い女子達は、トラットリアでワインなんて飲まない。)

ラディコンのセラーの設備を一回り見学した後は、自宅のキッチン兼、テイスティング・ルームへと通された。

スザーナさんは、午後地元の集まりがあるらしく、今日はここでサヨナラ。

英語を話せる長男サーシャが、スタンコの横で通訳してくれた。

堅く脂身の少ない、地元特産のサラミと生ハム、チーズが盛られた。

いよいよ、ここから怒濤の「ラディコンSHOW」の始まり。

  • ラディコン・リッボラ・ジャラ 2003
  • ラディコン・オスラヴィエ 2001
  • ラディコン・オスラヴィエ 1999(So2あり)
  • ラディコン・オスラヴィエ 1999(So2無し)
  • ラディコン・メルロー 2000
  • ラディコン・オスラヴィエ 2003

ラディコンのセラーで飲んだワイン

これらを次々と、お宝ワインをパカパカと空けていく!

更に、「(瓶熟課程の)状態が悪い。駄目だ!」ということで、オスラヴィエ1999(So2無し)は、その場で破棄。 躊躇なく同ワインを抜栓し直し。

出国前、麻布十番の有名イタリアンでダミヤンのビアンコ(白)を飲んだが、マルサネの様に褐変化したワインを、「正常です♪」と笑顔でと言い切ってサーブしたタフなハートの美人ソムリエールに、この綺麗に熟成したこのオスラヴィエ1999(So2無し)を飲ませてあげたい。

ずらり並ぶ青いエチケットに、暫しウットリ。
うわー、こりゃ天国だねぇ。

「記念に日本へ数箱持って行ったらどうだ?送るぞ!」とスタンコ氏から嬉しいオファーがあったが、
「僕は心底、オータさんの仕事をリスペクトしているので、あなたのワインは彼から買いたい」と伝え、丁重にお断り。不義理はしたくない。
今回の旅では、やはりこれが「筋」である。

それに、正直、まだ、イタリア3日目なので、まだ大量のワインを持ち運びたくなかった(帰国まであと10日もあるので)
なにより、真夏の車内の熱で、偉大な彼の作品達が痛むのは、心苦しい。

そうは言っても、無理矢理にでも、1本持たせてくれたスタンコ氏にも、男気を感じずにはいられなかった。

話が弾んできたところで、ちょっと意地悪な質問をしてみた。

「スタンコさん、グラヴナーのこと嫌いだって話を聞いているんだけど、本当??」
たぶん、フリウリ・ファンの誰もが聞いてみたいこの質問。
スタンコ氏は苦笑いしながら、こう答えました。


「いやいや、そりゃ、単なる噂だって!
いいかい、俺は彼の仕事や彼のやってきたことを本当に尊敬しているんだよ。
たぶん、彼がいなかったらこうして(お互い)合うこともなかったし、君がここに座っていることも無かっただろう。
本当に彼は尊敬に値するし、成功している。
家も新築中だしな。(笑)
実際、良いワイン、良い葡萄も作っている。
でもなぁ、「アンフォラ」はねーだろよぉ!
あんなモン、フリウリの歴史上どころか、イタリアの歴史の中でもワイン造りには使ってねーゾ。
あれはグルジアとか、 まあ、外国のモン。
あんなモノ使ってワイン造るなんて、意味判んねーよ!!」

「つまり、マーケティングの一種ってこと?」

「そうだな! 商業的手段だな!」

とバッサリ!

噂には聞いていたが、ワイン造りに関する話題に関しては、仲間内で殴り合いの喧嘩をするくらい情熱的と言われる片鱗を目の辺りにした。

かなり熱くなってきたので(身の危険を感じたので…)、デジカメに撮ってあった日本の写真を見せ話題を変えさせてもらった。

今年の11月には、キャンペーンで来日する事が決まっているらしい。
日本での再開を約束し、と憧れのカンティーナを後に。

帰り際、
「おっと、このあと予定ある?(当然ないだろ?と暗に示唆) よかったらニコのところ、寄っていったら?」

ラディコンを訪問後、ラ・カステッラーダへ行けるようにと、なぜかアレンジされている。
オータ社長が裏で手をまわしてくれていたのだろうか? 何から何まで本当に有り難い。

玄関で、漢(おとこ)スタンコのお見送り。
少し任侠的な臭いも感じつつも、何から何まで熱い漢(おとこ)だったなぁ。

彼のセラーで飲んだワインには、厳しい自然と暮らす心優しいゴリツィアーニの魂が、これでもかと言う程にじり出ていた。

マルペンサ空港から400km、ゴリツィアの山奥まで、車を飛ばしてきた甲斐は充分ありました。

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