Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 3/4

スタンコ・ラディコンの家の食卓で、イタリアワイン・ファンなら思わずニヤリとしてしまいそうな、興味深いボトルを見つけた。

ラディコンの食器棚のボトル
古いバルトロ・マスカレッロのボトル

食卓の棚には、ラディコンのボトルを取り巻くように、オールド・バローロのボトルが飾られている。

モンフォルティーノ1987年と1988年(ジャコモ・コンテルノ)、バローロ1967年(ボルゴーニョ)、バローロ1971年(バルトロ・マスカレッロ)のボトル等。
多くのイタリアの造り手にとって、バローロやバルバレスコの伝統派の重鎮達は、憧れの存在であることが伺える。
ソルデーラのペガソスもある。

ムレチニックの造った赤ワイン

これは面白い!
台所の隠し棚から見つけてしまった、同じ醸造グループの仲間でもある、ヴァルテル・ムレチニック作のバルベーラ。
彼は、こんな珍品も造っていたのか。
ムレチニックのバルベーラ

スタンコからは「ごめん、これは飲ませられないんだ・・・。(棒)」とストップを掛けられた。
真剣に焦ったスタンコの顔は見物だったなぁ。

古いエチケット

これは古いラディコンのエチケッタ。
しかも、アルト・アディジェや、フランス・アルザス地方のワインのような、フルート・ボトル。
2002年に建てた、セラーのレリーフに掘られているロゴマークが印刷されている。

古いラディコンのピノ・グリージョのボトル

スタンコの家族と多いに飲み、多いに食べ、多いに語り合う。

奥さんのスザーナさんとスタンコの口から、ラディコンにとって『印象深い年』について語ってもらった。

ラディコンの沿革

※下の年表は、マシンガン・トークで喋る二人の証言をノートに綴ったものである。(二人とも少し酔っていたから怪しいかな…。)

1977年:古い大樽(ボッテ)を手に入れる。

1979年:初のリゼルバをリリース(ピノ・グリージョ、リボッラ・ジャラ、トカイ・フリウラーノ)。

1985年:「メルロー」「スラトニック(シャルドネ、ソーヴィニョン、トカイ・フリウラーノの混醸)」をリリース。「スラトニック」とは「クリュ」の意味。

1985年:イノックス、トノーを新たに手に入れる。
※ピジャージュのことを、地元コッリォの言葉(多分フリウリ語かスロヴェニア語だと思います)では「ファラ・トゥラ」という。

1987年:「ソーヴィニョン」リリース。

1987年:初めてバリックを導入。

1991年:赤も白もバリックを使用する。

1992年:「オスラヴィエ」リリース。

1992年:「シャルドネ」リリース。

1994年:「シャルドネ」「ソーヴィニョン」「スラトニック」「メルロー」「ピノ・グリージョ」が大成功。

1995年:「オスラヴィア」「リボッラ・ジャラ」「メルロー」が成功。
※マセレーション・オン・スキンした白ワインを造り始めた年。

2003年:「ピニョーロ」植樹。(2013年リリース予定)

Radikon Pignoloを日本で飲める日が来るのが、今から待ち遠しいかぎりです。

Tips

二人の若い頃の様子も聞いた。

スタンコは26歳の時に結婚(奥さん21歳の時)。
リビングにあった結婚式の写真を見ると、若き日のスタンコ・ラディコンは、細面で金髪がフサフサ。(髭は生えていました)

今年で結婚28年目。(2008年当時)
当時奥さんは、ハンサムなスタンコにメロメロだったらしい。

含み笑いとため息を交互に繰り返しながら、懐かしそうに当時の出来事を語り合う二人。
今日の名声を得るまでの苦労が偲ばれた。

(次へ続きます)

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