初めてのフリウリ。初めてのオスラヴィア。
午前中にマルペンサ空港側のホテルをチェックアウト。
Autostorada (A4)と呼ばれる、高速道路を、一路東へ向かい飛ばす。
ヴェネツィアを抜け、GORIZIA(ゴリツィア)に着いたのは、17時前。
ハイウィエを降りても、どこがゴリツィアの市内へ入る道か判らず、右往左往する。
しかたない、ゴリツィアの地図なんてマルペンサ空港では入手不可能。
結果は推して知るべしだ。
見たことも聞いたことのないような地名の看板を頼りに、五差路のロータリーへと出た。
道なりに一番太い道を選んで進んだら、そのまま今来た高速道路を戻ってしまった。
次の出口まで2㎞以上。
時速130㎞で飛ばしても、次々と後続車から煽られる始末。
ハンドルを握ったイタリア人は、実にせっかちだ。
日本の都心に比べ、イタリアの高速道路は、どこも入口から次の料金所までの距離が長い。
道を見失っている状況では、さら長く感じられる。
なんとか迷いながら、漸く名もないような小さいな村の中心地へと出た。
オープンカフェ風のバールに立ち寄り、道を聞く。
店の入り口には、いかにも暇そうな、時間をもてあましている村人がたむろしている。
東洋人を観る目は、どこか物珍しげな様子だ。
バールのお姉さんはとても親切だった。
なんとなくだが、イタリア語は聞けば、ニュアンスはわかる。
僕はスペイン語しか話せないけど、何となくだが、こちら側の意思は伝わっている様子だ。
空港で買ったロードマップを片手に、ゴリツィアまでの道を教えてもらった。
さっき迷った、五差路の別の道を進めば、チェントロ(旧市街)だったようだ。
ゴリツィア市は、その複雑な歴史の経緯から、街が南北に、イタリアとスロヴェニアとで分断されている。
そのため、チェントロ(旧市街)にはいってからがまた大変で、市内を走る国境を避けるかのように、遠回りをさせることが、結構ある。
道は狭く、どこも似たような街並み。
看板は必ずイタリア語とスロヴェニア語が併記されている。(英語は無し)
長時間の運転でかなり、集中力がきれてきた。判断力も低下している。
見知らぬ土地で事故でも起こしたら、取り返しの付かない状況になりかねない。
休憩がてら、人通りの少ない、公園の側の道へと出た。
一歩大通りを離れると、実に多くの車が、当たり前のように、路駐をしていた。
偶然通りかかった、散歩中の老夫婦に道を尋ねた。
「あの、すみません。 オスラヴィアに行きたいんですが・・・」
「あ、え? オスラヴィアに!! なんで? なにしに?? どこから? え!日本から??」
「はは。 ワインの生産者に会う予定がありまして・・・。」
「あら、そう。でもここからじゃ説明するの大変だから、車でついておいで!」
老夫婦は、オスラビアの入り口の橋のところまで、先導してくれた。
これ以降、何度もゴリツィアの人と接することになるが、総じて、ゴリツィアの人達は、物静かで、人当たりがやさしく、親切極まりない。
とかく、ガッっついた、ギラギラしたような雰囲気の人とは、一度もあったことがない。
ゴリツィアを拠点に動くならならば、利便性の高い、ゴリツィア市内のホテルを利用すべきだろうが、ゴリツィアに到着したその日に、どうしても行かなくてはいかないところがあった。
スタニスラオ・ラディコン(スタンコ・ラディコン)の家である。
ヴィナイオータの太田社長がスタンコ・ラディコンに連絡をつけてくれた際、スタンコは僕の宿泊する宿を、すでに予約してくれていた。
だだ、場所は、オスラヴィアの「どこか」らしい。
スタンコを尋ね、彼と落ち合ったあと、その後ホテルまで案内してくれる段取りだった。
オスラヴィアの丘を目指し、くねくねの山道を駆け上がっていく。
この細い一本道は、「ヴィア・オスラーヴィア(SP17)」と言い、通称「ワイン街道」と呼ばれる。
この道の両端には、数多くの醸造家達のセラーや畑があり、文字通りの「名醸地」であることを伺わせる。
太田さんからは、予め道案内のメールをもらっていた。
「ラディコン家は、(送ってもらったWEB地図の)<Tre Buchi>と書いたところの側の砂道」とあったが、地図上の場所を探しながら、「砂道」を探して運転するのは、大変な労力だった。
至る所、砂利道がみえる。
何度も周辺を往復し、漸くそれらしき「砂利道」を発見した。
砂利道を進むと、変哲のない、無愛想なカンティナがあった。
けたたましく2匹の犬達が吠える。
丸々太ったビーシュラ種らしき猟犬。
数年前にラディコンを尋ねた友人の写真に写っていた犬だ。
納屋にはラ・カスッテラーダやプリンチッチなどの、地元の自然派ワインの空き瓶が、山積みになっている。
ここが、ラディコンの家だと確信する。
……漸く着いた。
日本を離れ、何時間経ったろう。
憧れのワイン生産者の家の前に、今、こうして立っている。
目下の急斜面に並ぶ葡萄の木々。
房は撓わに実り、今まさに収穫を待っている。
緊張しつつドアを叩いた。
足下で狂わんばかりに犬が吠え立てるから、誰か来ていることは判るはず。
……。
……。
不在。(ToT)
いやーな予感。
そもそも、今宵の俺の宿は??
宿のチェックインの時間の7時までは、あと40分以上ある。
隣の家に済むおばさんの庭の水まきを手伝いつつ、時間まで待ったが、結局誰も来なかった。
その間、片時も休まず犬たちは吠え続けていた。(犬よ、お疲れさん)
太田社長に無理をお願いし、予約してある宿の名前と連絡先を、ラディコンから聞いておいてもらって、本当に助かった。
途中、ゴルフホテルのフロントの人や、工事のおじさんに道を尋ね、日が暮れるころ漸く、今夜の宿に着いた。
宿の名前は、” Ristorante VOGRIC(ヴォグリッチ)” 。
ホステリアとレストランが併設している。
到着後、若女将が出迎えてくれる。
店内はちょうど夜のお客が入り始めたあたり。
「喉乾いたでしょう?ワイン飲みます?」
グラスに、たっぷりと注がれた、トカイ・フリウラーノ。
これの旨いことといったら。。。
ラベルもなし、グリーンのマグナム瓶に軽くコルクを差しただけのいかにもテーブルワインという代物。
酒飲みにとっては、最高のもてなしだ。
旅の疲れは、消し飛んでしまう。
ハーブとライムの香りに独特のミネラル、長い余韻。
旨い、本当に旨い。
飾り気のない、果実味とミネラルたっぷりの味わい。
これがフリウリの味だ。
単純には比べられないが、人懐っこい味わいの、フランコ・トロスのトカイにも通じるところがある。
ホステリアのテーブルワインの味わいが、このレベルかぁ。
改めて、この地域のワインのレベルの高さを実感した。
部屋でシャワーを浴び、荷ほどき。
テレビをつければ、イタリア語放送に混じり、スロヴェニア語放送の番組が映った。
スロヴェニア語のクイズ番組や天気予報以外に、ヨーデルののど自慢番組などもやっていた。
異国情緒たっぷりだ。
レストランで地物の料理を注文。
イタリア料理の「量」に慣れないうちは、1皿で充分だ。
ゴリツィア伝統料理「Cevapcici(セバチッチ)」と、自家製ワインのメルローを頼む。
「Cevapcici(セバチッチ)」はハーブの入ったミートボールで、味や風味は、インド料理のシシカバブーによく似ている。
肉自体は薄味で、これにピリ辛のパプリカ・ソースにつけて食べるのである。
このミートボールのハーブ感と、若いメルローに感じる独特のブーケの香りとが、実に相性がよい。
葡萄畑に囲まれた丘の上のレストランのテラス。
夜風が実に心地よい。
フリウリは多湿地帯なので、夜風はかなり湿気を帯びていて、ひんやりとする。
冷たい夜風は、ワインを加速させ、食欲を掻き立てる。
もう一品、地元のデザートを、行ってしまおう。
手作りのドライフルーツの詰まったパンケーキに、グラニュー糖をふんだんに掛け、そこにグラッパをぶっかけて食べる。
もっさり粉っぽいパンケーキの食感は、グラッパを掛けることで、とてもリッチな風味へと変化する。
冷たい夜風とワインのほろ酔いが、旅の疲れを癒してくれた。
明日からのカンティナ巡りに期待がふくらむ。