” Borc Dodon “(ボルク・ドドン) 訪問:1/2

"Mr.Refosco" DenisMontanar
” Agenda Denis Montanar ” (アジェンダ・デニス・モンタナール)というよりも、” Borc Dodon “(ボルク・ドドン)の名称の方が、日本では馴染みがある名前であろう。

デニスのカンティーナは、フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州の南側、アドリア海に接する ” Aquileia “(アキレイア)の” Villa Vicentina “(ヴィッラ・ヴィチェンティーナ)という、本当に小さな村にある。

” Aquileia” は、海産業と農業で栄えた町だか、規模は小さいながらもフォロ・ロマーノ(古代ローマ時代の遺跡)があり、文化と観光の町としての一面もある。

遺跡に隣接する、当時からの残る教会の床には、魚や海鳥をモチーフにしたモザイクが描かれている。

彼のカンティーナまでは、アキレイアの中心地から車で20分程度の距離なのだが、道が非常に分かりづらい。

村は鉄道で分断されていており、線路の対岸に渡る道を探すのに苦労させられる。

農業用トラクターがトロトロと進む細い農道を、疑心暗鬼のまま進むと、倒壊寸前の古い民家が数件、目に飛び込んでくる。

真夏の青味を増した空の色。

畑の燃えるような緑。

古民家の土壁の茶色。

色のコントラストが、鮮烈な農村の風景が広がる。

その古民家のエリアを抜けると、突如、新しく建てられた綺麗な邸宅が現れる。

近年のイタリア・ワイン界において、センセーショナルにデビューを果たした驚異の新人であり、国内外で「レフォスコ旋風」を巻き起こした、” Denis Montanar ” (デニス・モンタナール)の邸宅である。

フリウリの赤ワイン用地場品種、「レフォスコ」

アキレイアでは、今、「レフォスコ・バブル」が起きている。

地葡萄であるレフォスコという葡萄品種の正式名は、「Refosco dal Peduncolo Rosso(レフォスコ・ダル・ペドゥンコーロ・ロッソ)」。

収穫時期の11月になると、葡萄房と枝の接点である梗の部分(Peduncolo)と葉が真っ赤に染まることに、その名が由来する。

※レフォスコでつくった赤ワイン、という意味ではない。

大小合わせて20~30件程(大手は4~6件、他は小規模)のアキレイアの生産者達が、レフォスコ種の単一品種ワインを造ってる。

しかし、デニスが造るレフォスコは、「レフォスコのロマネコンティ」と呼んでも過言ではないと程、凝縮されたエキスと力強さとエレガンスが共存する。

世のレフォスコ種で作ったワインの中では、「別格中の別格」である。

彼は現在、自然派ワインのグループ ” AAA “(トリプル・エー)」に所属している。

ラディコン、ニコ・ベンサ、ダリオ・プリンチッチ、といった、コッリオ(ゴリツィア)の巨匠達や、他の自然派ワインのグループの面々も、デニスの造るレフォスコには一目置いている。

出迎えてくれたデニスの第一印象は、見事な禿げ頭の、農業に燃える、エネルギッシュな若者、という感じだった。

彼の手(特に左手)は、ボロボロに荒れていて、日々畑で闘っている様子が伺える。

デニスの車に乗り込み畑へ。

彼はカンティーナの「すべての生産現場」を見せてくれた。

「すべての生産現場」というのは、葡萄畑と醸造施設以外も含めてである。

Agenda Denis Montanar (アジェンダ・デニス・モンタナール)におけるワイン造りは、「世界を相手にした高品質なワイン造り」というよりも地元のコダワリ農家がつくる「こだわりの農作物のひとつ」という色調が濃い。

元々モンタナール家は、 Villa Vicentina(ヴィッラ・ヴィチェンティーナ)村で、代々広大な農地を有していた地主だった。

彼らは、主にトウモロコシをはじめとする農作物を生産し生計を立てていた。

フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州だけでなく、北イタリアでは、トウモロコシは主食(ポレンタの原料等)として重要な農作物で、そのためモンタナール家は、より高品質なトウモロコシを作るために、徹底して自然農法にこだわり続けた。

自家消費用ワインをつくるために、代々守ってきた自慢のトウモロコシ畑の一区画を利用し、葡萄栽培をはじめたことが、ワイン生産者としてのスタート地点となる。

デニスは、1989年より祖父の醸造所を手伝うようになり、1992年に自らの名前でボトリングを始める。

レフォスコの畑へ。

デニス・モンタナールのレフォスコ畑
ダメージをうけたレフォスコ

僕が訪問した年(2008年)は、畑の葡萄全体が、長い大雨の影響で結実不良(ミイラ化してしまっている)を起こしてしまい、更にヒョウ害で深刻なダメージを負ってしまった。

「残念ながら、雨が多くて、葡萄は80%くらいやられてしまったが、トウモロコシにとっては良い年となった」とのことだった。

デニス・モンタナールによる解説2
葡萄が駄目でも、それを補うだけの農作物から入る経済的基盤がしっかりしているからだろう。
「まあ、そんな年もあるさ・・・」と残念がるも、どこかお気楽な感じ。

デニス・モンタナールによる解説
デニスは、畑には化学肥料を用いず、除草剤や殺虫剤も長い間使用していない。
「トウモロコシも葡萄もすべて自然に任せたままが、一番。」とのことだ。

レフォスコ畑
見渡せば、レフォスコの畑に限らず、どの葡萄の畝も下草がボウボウ。

葡萄への関与は、「剪定」くらいしか行わない。

地質

また、ここの地質は ” ARGILLA(アルジッラ) ” といい粒子の細かい泥砂が固まったような地質である。

コッリオで見られる固い ” PONKA (ポンカ)層 ” とは、見た目も触感も、全く異なっている。

夏の暑さで、土の表面は白く乾燥しているが、触ると驚く程湿っており、彼の畑の保水能力の高さが伺えた。

ちなみにデニスの畑のある「Scodovacca(スコドヴァッカ)」というエリアは、ヴィッラ・ヴィチェンティーナ村の中でも「レフォスコをつくる上でベストの土地」とされている。

近い将来、バローロの ” Cannubi ” や ” Bussia ” のように、クリュの概念を強く打ち出したレフォスコが、マーケットでも多く見受けられるであろう。

事実、デニスもこれまで単に「レフォスコ」とラベル表示していましたが、2003年からは ” Scodovacca” の地名を全面に出したものに変更している。

モンタナール家のトウモロコシ畑

調子の出てきたデニスは、モンタナール家自慢のトウモロコシ畑へと導く。

「さあさあ、このトウモロコシ畑を見なくてはウチのワインは理解できないぜ!」
休閑地のトウモロコシ畑
彼の解説によれば、このトウモロコシ畑は「休閑耕作法」という自然農法をとっていて、1/3を耕作せずに土を休め、残り2/3を使って農作を行っている。

これを毎年ローテーションさせ、3年で1クールとなる。(上の写真が休閑地)

最高品質のデニスのトウモロコシ
前述のとおり、このトウモロコシ畑も「殺虫剤・化学肥料は一切まかない。すべて自然に任せたまま。」

休閑地には、なぜか自生のミントが生えてきてる。

畑のコンディションを維持するために、とても重要な役割を果たしている、とのこと。

畑には、休閑地・栽培地を問わず、トラクターは絶対に入れない。

地中の生態系(ミミズなど)に悪影響を与えてしまうため、である。

「もしかして、デニスの中ではワインよりもトウモロコシ作りの方が夢中なのでは??」という印象を持つ程、彼がトウモロコシを語る時の目は輝いてた。

「ダッシュ村」のような、デニスの畑

お次はひまわり畑へ。

デニス・モンタナールのひまわり畑
デニス・モンタナールのミツバチ

小降りのひまわりが首をたれる。

その畑の隣に、小さな養蜂箱が並んでいる。

デニスは、ひまわりの蜂蜜もつくり、更に、ひまわりの種から油も収穫する。

ミツバチ達は、葡萄やトウモロコシの授粉のために、素晴らしい働きをしてくれる。

更に、広大な農地の中で、ファロ麦も栽培している。

脱穀した麦は販売し、不良麦や籾殻は、飼育している豚のエサに。

訪問した当時、デニスは6匹ほど豚を飼ってて、全員デニスになついてるかのようだった。

小屋の前で彼がクラクションを鳴らすと1mを越す豚達が飛び跳ねてやってくる。

車の窓越しに「あいつ旨そうだな~♪」とニヤニヤしているデニス。

この豚達は、デニス自慢の手作りプロシュートやパンチェッタにされる。

家の近くを流れる小川には、鱒が泳いでいる。

畑でミミズを捕まえ、子供達と一緒に魚釣りを楽しんでいる。

どうやら、彼にとってワインは「自宅の庭で獲れた、農作物の1つ」というとらえ方のようだ。

デニスは今日も、代々伝わる土地の力を信じ、ファーマー(お百姓)をしている毎日を楽しんでいるだろう。

(次へ続きます)


2 Responses to “” Borc Dodon “(ボルク・ドドン) 訪問:1/2”

  1. パシフィク洋行の阿部と申します。 より:

    情熱的なブログに大変感激致しました。私はパシフィックに入社する前、テロワール(ご存知かもしれませんが)という会社で働いていました。今は自主整理して存在しない会社なのですが、そこで私を含めた最後のスタッフで見つけたのがデニスのワインでした。まだ荒々しいけれども勢いのある素敵なワインに興奮したのを覚えています。整理後スタッフはそれぞれ違う会社に入社しましたが、デニスのワインに思い入れが強かった私は他のスタッフの了解を得て転職先のパシフィックで扱うことを認めてもらいました。転職後すぐにフリウリに行く機会があったのでデニスに会いに行きました。少年のような輝く目で熱く語ってくれたのを思い出します。私事ですが今年結婚をしまして、新婚旅行で妻を連れてデニスのところに一泊させてもらいました。片言のイタリア語しか話せない自分ですが、どうしても妻にも会わせたかったので辞書片手に(7割ボディートークでしたが)訪問したのが昨日の事のようです。
    だらだらと書いてしまい申し訳ございません。
    ただ自分と同じようにデニスとデニスのワインに感動してくれる人が増えてくれたことが非常に嬉しかったのでコメントさせて頂きました。
    これからも沢山の美味しいワインを飲んで素晴らしい人生を送って下さい。
    弊社は、またよっさんさんのヒットとなるようなワインを日本に紹介出来たらと思います。

    • YOSHIWO より:

      阿部さん、この度は格別のご配慮を賜り厚く御礼申し上げます。お陰様で素晴らしい体験をさせて頂きました。
      当時「テロワール」が解散した話を聞いた時は、大変ショックを覚えました。
      私自身、過去に2回、会社整理を経験しております。
      事業撤退は取引先だけでなく、そこで働く社員や家族を深く傷つけます。
      さぞご苦労をされたのだろうとお察し致します。

      私がイタリアワインに本格的に目覚めたきっかけは、このブログにもありますとおり、当時テロワールさんが取り扱っていた「マッテオ・コレッジャ」のマルンとの出会いでした。
      新宿のワインバーで飲んだマルンは、その日飲んだボルドーやニューワールドよりも、スケールが大きく生き生き輝いていました。
      いわば、イタリアワインへの門戸を開いて下さった会社が「テロワール」さんです。
      改めて感謝致します。

      パシフィックさんと言えば、僕はジュゼッペ・マスカレッロのワインが大好きです。次回訪問の際には是非訪れてみたい作り手の一人です。
      また、パオロ・ポッジョのティモラッソは、緊張感とミネラルを備えた素晴らしいワインだと思います。
      先週の土曜にも嫁とアクアパッツァを作り、ポッジョのティモラッソを開けて楽しませていただきました。

      これからも素晴らしいワインをご紹介頂けることをワクワクしながら「グラスを空にして」待っております。

このページの先頭へ