“Giacomo Conterno(ジャコモ・コンテルノ)”と並び称される、バローロ伝統派の最高峰の造り手 “Aldo Conterno(アルド・コンテルノ)”のセラーを訪問した。
1960年代まで、アルドは、兄ジャコモとともに、父ジョバンニのもとでワインを造っていたが、兄が家業を継ぐと、自ら家を飛び出した。
1969年に、モンフォルテ村の “Bussia(ブッシア)”に畑とワ
【おまけ】ラディコン・クッキング | Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 4/4
セラーと畑でしっかりお勉強をした後は、ラディコンの家の食卓でワインと食事
さあ、飲むぞよ♪ 食べるぞよ♪
" Radikon Merlot(ラディコン・メルロー)2000 " 、 " Oslavie(オスラヴィエ)2003 " 、 " Ribolla Gialla (リボッラ・ジャラ)2003 " 、さらに " Oslavie Riserva Ivana(オスラヴィエ・リゼルバ
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 3/4
スタンコ・ラディコンの家の食卓で、イタリアワイン・ファンなら思わずニヤリとしてしまいそうな、興味深いボトルを見つけた。
食卓の棚には、ラディコンのボトルを取り巻くように、オールド・バローロのボトルが飾られている。
モンフォルティーノ1987年と1988年(ジャコモ・コンテルノ)、バローロ1967年(ボルゴーニョ)、バローロ1971年(バルトロ・マスカレッロ)のボトル等。
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 2/4
ラディコンのセラーの中のレイアウトは、前年と比べて殆ど変化がなかった。
下記の平面図のとおり、家屋からセラーへは、地下をとおり、セラーの階段横へと繋がる。
階段の下から奥のボッティ(大樽)にかけた右手の壁は、この地方特有の地層である " PONKA(ポンカ)層 " が、むきだしになっている。
ラディコンの神髄。マセレーションを行う大型トノー(木製開放型発酵槽)
Radikon (ラディコン) 訪問 :2度目 1/4
スタンコ・ラディコンとの再会
Stanislao(Stanko) Radikon スタニスラオ・(通称、スタンコ)ラディコン。
前日、ニコ・ベンサの奥さんのアポイントに従い、Radikon (ラディコン)のカンティナ(家)を午前中に訪問。
Oslavie(オスラヴィエ)にあるラディコンの家は、ヨシュコ・グラヴネルの家と200m程しか、離れていない。
看板や目印になる
La Castellada (ラ・カステッラーダ)~ニコの家での夕食
ヨスコ・グラヴネル(グラヴナー)、ラディコン、ダリオ・プリンチッチ、パラスコス、フランコ・テルピン、ダミヤン、ムレチニック、クリネッチ、モヴィアなど、Collio(スロヴェニアではBrda)周辺には、マセレーションした白ワインを得意とする造り手が多い。
彼らの栽培・醸造に関わる独自の哲学に耳を傾け、畑やセラーを丹念に観察していくと、微妙な「こだわり」の違いに気づく。
先の記事の「集
La Castellada (ラ・カステッラーダ)訪問:2度目 2/3
La Castellada (ラ・カステッラーダ) 当主、 Nicolo Bensa (ニコロ・ベンサ)
今やオレンジ・ワインのメッカでもある d.o.c. COLLIO(コッリオ)のワインの魅力を、自分の言葉でひとさまに伝えることが出来るようになるまで、これまで実に多くのワイン関係者との出会いがあった。
中でも、自分自身のブレイク・スルーのきっかけとなったと感じるのは、昨年
La Castellada (ラ・カステッラーダ)訪問 :2度目 1/3 @ DEVETAK (デヴェタク)
上州(群馬)名物 『かかあ殿下と空っ風』。
イタリア女性の「かかあ殿下」ぶりはとても有名ですが、マニアックなワイン生産地であるフリウリの、しかも一際アクの強いゴリツィアの巨匠達の奥様方に至っては、僕ら日本人には想像を絶するものがあるように思う。
ニコニコと笑いながら、旦那を目で殺し、シュンっとさせる姿を、何度も目にする。
今回、多くのカンティナを訪問したが、巨匠達のもとを
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ミアーニ 訪問 2/2
” Buri(ブリ) ” 畑
再び車に乗り込み、" Buttrio(ブットリオ)" のエリアにある " Buri(ブリ) " 畑を目指し、泥道を進む。
" Filip " 畑からは5分位の距離。
水たまりだらけの凸凹の農道を進む、エンツォの軽自動車は、酷く揺れる。
因みに、「Buri(ブリ)」という呼び名の由来は、Buttrio村のローカル・ネーム(地元での呼び名)で
ミアーニ 訪問 1/2
※livedoor Blogへのスパムが激しく、一部リライトした上で、こちらに記事を移動させました。
ワイン専門誌「ワイナート13号」の記事はあまりにセンセーショナルだった。
Miani(ミアーニ)を語るとき、この雑誌に書かれた一説が、今も呪縛のごとく付きまとう。
「ミアーニのない人生なんて」
それでもあえて言う。ミアーニは飲まねばならない。簡単に買えないか