イタリアのカルトワイン「ミアーニ」が、 ” キング・オブ・フリウーリ ” と呼ばれる本当の理由
以下は、2008年夏にミアーニのエンツォ・ポントーニの自宅を訪問した時の感想と、彼のワインを取り巻く昨今の事情についての考察である。
訪問時の様子は、こちらを参照ください。
エンツォ・ポントーニってどんな人?
まず、エンツォという男は、まかり間違っても、自分が「KING OF FRIULI」であるなどと、そんな高慢な考えに支配されるような、愚かな人物ではない。
その一方で、自分のワインが世界中で、信じられないほど高い値段で取引されている事も、よく知ってる。
そうした外部からの評価に対し、彼自身、いささか困惑しているのかのようだった。
エンツォ・ポントーニという人物は、至ってシンプルな人間である。
「愚直」という言葉がふさわしい程、彼は、日々畑に立ち向かっている。
暇さえあれば、一日中畑にいるような、いわゆる「ホンマモンのワイン馬鹿」である。
彼の衣食住は、限りなく慎ましやか。
自分に与えられた時間とお金は、最低限の生活費以外、全て、畑とワイン造りに注ぎ込んでいる。
マスコミの作り上げた虚像
彼の家で、彼の造ったワインを飲み、彼の話に耳を傾けた経験から、僕の知っている実際のエンツォ・ポントーニの姿と、ワイン・マスコミやガイドが群がるように作り上げた「フリウリのスーパースター像」とでは、驚くほどのギャップがある。
ワインの味わいについても、フィネスを重んじる多くの日本人の飲み手にとっては、巷に流れる評判とのキャップに驚いた人も少なくないだろう。
あれほどまでに凝縮した葡萄を作ることが出来る、「葡萄栽培家」としての非凡なる才能は、万人が認めざるを得ないだろう。
しかし「偉大なる醸造家」と呼ぶには、違和感を感じずにはいられない。
個人的な体験をもとに言うと、今のところ「狙った方向にワインの成長を導き出してやる、豊富な経験」や「飲む側の官能に訴えかけるような、非凡なセンス」を、彼のワインからは感じることができない、からである。
例えば、ミアーニ・メルローは本当に素晴らしいワインである。
が、「なにもそこまで濃く造らなくても」というような濃厚さが全面に出過ぎた、少し「やり過ぎ」たワインでもある。
世界に目を向ければ、ニューワールドや東欧やギリシア等の新しい造り手の方が、より洗練された濃厚で低価格なワインを、造っている。
「世界で最もクローンの研究が進んでいる国」アメリカにおいては、驚くほど小ぶりに房が成熟し、アルコール感が上がりずらく、濃い色調のワインを生む葡萄の苗が栽培されている。
イタリア国内では、今やほぼ全州において、ミアーニ以上に濃厚なメルローやカベルネ・ソーヴィニョンを造っている造り手は、大勢いる。
ミアーニのフラッグシップ・ワインとされる「カルヴァリ」に至っては、その味わいと市場価格とのギャップは、もやは理解不能の域だ。
白ワインの聖地フリウリでの評価
白ワインにしても同様である。
ミアーニのセラーのあるブットゥリオから車で15分程、県道を行けば、イタリアワインを代表するような、偉大な生産者達が大勢いる。
鮮烈な酸味と緊張感を求めるなら、「ドロ・プリンチッチ」のコッリオ・ビアンコの方が、お勧めだ。
やわらかな口当たりや葡萄の本来の自然な果実味を求めるなら、生ハムや鹿料理といった山の料理と相性が良い「コッレ・ドゥガ」や「エディ・ケーベル」のワインだろう。
内側にクローズするほどの、強烈なミネラル感とエレガンスならば、トリエステの「エディ・カンテ」は外せない。
フランス的表現の白ワインがお好みなら、「ジャンニ・メノッティ(ヴィラ・ルシッツ)」が造る、 ” Sauvignon de La Tour ” (ソヴィニオン・デ・ラトゥール)。
女性的な優雅さやボルリュームのある触感を求めるなら、「ヴィエ・デ・ロマンス」や「イエルマン」といった名前が想い浮かぶ。
さらに、変態系ワインファンには、ゴリツィアの巨匠達がつくるマセレーションした白ワインが、優しく手招きをしている。
間違いなくミアーニのワインは美味しい。
が、言葉は悪いが、悲しいかな、個性豊かな「白ワイン王国、フリウリ」においては、ミアーニのワインは「当たり前のワイン」なのである。
そして「値段だけが飛び抜けている、誰も飲んだことのない、幻のワイン」となっている。
誰も飲んだことがないから、旨いのかどうかなんて、地元の人たちは、誰も知らない。
ワインの特徴
ミアーニのワインの特徴は、「畑のポテンシャルを最大限生かて収穫した葡萄の出来栄えを、そのままボトルに閉じ込めたような造り」だと言える。
ガレージキットのような、簡素な設備で醸造を行うスタイルは、フリウリの土地から生まれる葡萄の魅力をよく表現しているが、裏を返すと、ヴィンテージによって当たり外れが激しく、ホームランか三振しかないワインである。
品種やクリュ毎に醸造温度や期間を微調整したり、酵母の活動状況をコントロールし意図的に還元的状態を起こしたり、二次発酵層を交換させたりと、フレキシブルに調整していくスタイルでもない。
「葡萄でヘマすると、ワインもヘマしてしまう」造りであり、従って、ロスも多く発生する。(これを意図的な「収量制限」と呼ぶかは、微妙なところだろう)
自分の目の届く範囲の量の葡萄しか造らないから、高品質を保ち続けるには生産性を落とさざるをえない。
周囲の生産者や地元の愛好家からは、多少妬みや憧れが交じり、「マスコミの評価にワインの実力が追い付いていない」という声すら聞こえてくる。(殆ど地元で飲まれていないのに、だ)
エンツォの闘い
エンツォ自身も、その点は、よく胆に銘じている。
マスコミで持ち上げられた評価と同等以上のワインを世に送り出すため、また「ミアーニ」のブランドを信じてワインを買ってくれた人々に報いるために、文字どおり「全てをなげうって」、日々ワインに打ち込んでいる。
だから、毎日、彼は畑に行く。
その姿は、誰かが作ったなだらかな道を行くのではなく、誰よりも早く頂上へ登りきろうとしているかのようだ。
垂直に聳え立つ絶壁をはい上がるかの如く、死に物狂いで研鑽を積んでいる。
今日も、一人、畑に立ち向かう。
人は誰しも「努力する人」には応援をしたくなるものである。
何より「愚直な男」程、また時間は掛っても最後は大きな結果を出す、ということを我々も世間知として知っている。
まさに、エンツォ・ポントーニは「努力する才能」に溢れた「努力し続ける天才」なのである。
僕自身、彼の暖かい人柄や常に謙虚であり続けようとする姿に触れ、心底応援をしたくなった一人だ。
自分のことを、「新しい友人」と言ってくれた、彼のことを思い出す度に、「これからの人生を、どう闘うのか」と、自問せずにはいられない。
そして、彼のワインを飲めば、あの日の記憶がよみがえり、少しだけ「前にすすむ勇気」を分けてもらえる気がする。
神格化せず、等身大のエンツォ・ポントーニの姿を知って頂いた上で、もっともっと彼本人と、彼が造るワインを好きになってもらいたい想いで、この文章を書かせて頂きました。
最後まで長文をお読みくださり、有難うございました。(拝)
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